2013年06月01日
あかるい絶望、から日々行きていくということ。
20代のころ、40代の人にカラっとした調子で「日々、絶望してるからなぁ」と
言われて、複雑な気持ちになったことがある。
そうなんだ…と受容することはできても、その人の感じている絶望を自分のこととして
とらえられないことを、申し訳なく感じたのだろう。
でも、今はすこしわかる。
いくつかの絶望を私も味わったから。
そして、味わってみると、絶望というのは真っ暗闇の八方ふさがりのような感じではなく、
日常の中にぽこんとある。
日々の楽しいことや心地よいこととともにある。
30代の私を貫いていた情熱や未来への期待は、今はしずまっている。
消えたわけでも、くすぶっているわけでもないと思う。
ただ、今は、なりをひそめている。
何かを実現することに全身全霊を傾けず、「今」にフォーカスして生きていくこと。
現実をダイナミックに動かす情熱や期待はないけれど、木や草や花、空と海…
目の前にあるものを微細に見つめることはできる。
微細な観察の積み重ね。
もしかすると、私にとってはこれが地に足をつけるということなのかもしれない。
絶望後のあらたなフェーズ。
情熱や期待のかわりに、今ここで小さな光を放っている美しいもの、心地よいもの、楽しいもの…
それらのピースを集めて生きていく。
そうしているうちに、たどりつく場所もあるだろう。
まだまだ旅の途中。2013年4月・台湾の高雄にて
言われて、複雑な気持ちになったことがある。
そうなんだ…と受容することはできても、その人の感じている絶望を自分のこととして
とらえられないことを、申し訳なく感じたのだろう。
でも、今はすこしわかる。
いくつかの絶望を私も味わったから。
そして、味わってみると、絶望というのは真っ暗闇の八方ふさがりのような感じではなく、
日常の中にぽこんとある。
日々の楽しいことや心地よいこととともにある。
30代の私を貫いていた情熱や未来への期待は、今はしずまっている。
消えたわけでも、くすぶっているわけでもないと思う。
ただ、今は、なりをひそめている。
何かを実現することに全身全霊を傾けず、「今」にフォーカスして生きていくこと。
現実をダイナミックに動かす情熱や期待はないけれど、木や草や花、空と海…
目の前にあるものを微細に見つめることはできる。
微細な観察の積み重ね。
もしかすると、私にとってはこれが地に足をつけるということなのかもしれない。
絶望後のあらたなフェーズ。
情熱や期待のかわりに、今ここで小さな光を放っている美しいもの、心地よいもの、楽しいもの…
それらのピースを集めて生きていく。
そうしているうちに、たどりつく場所もあるだろう。
まだまだ旅の途中。2013年4月・台湾の高雄にて
Posted by yurippe at 12:04
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